カテゴリ:991 Novel( 12 )

P 4594 小説厚生省 (34)~(36)

【医療課へ】

小説厚生省(34)
人は人事権に従う。また、良い仕事をしようとすれば、人事で能力のあるもの、ふさわしい人材を配置する必要がある。仕事についての理解と人物に関する見極めが組織で力を発揮する要諦である。岡村が厚生省内で、人事の面でいわば「川村派」と目される端緒となった。

小説厚生省(35)
後日の話になるが、川村がいよいよ事務次官に任命される直前、内定を受けてから、岡山敬治が各局の組織名・課題の一覧表に人名を貼り付けた表をもって岡村のところへも情報を確認にきていた。川村の意向を受けて、どんな課題が重要で、それにはどんな人材がふさわしいか。

小説厚生省(36)
話を、岡村の保険局庶務課時代から医療課へ移った時期の頃に戻そう。昭和41年4月、入省1年目、医療課配属となる。ここでの2年間で日本における医療費政策の現場を学ぶことになる。部屋は、保険局庶務課の隣であって、引き続き頻繁に庶務課(川村補佐)へ顔を出した。
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by jpflege | 2010-05-01 04:33 | 991 Novel

P 4581 小説厚生省 (31)~(33)

【人事の洗礼】

小説厚生省(31)
役所の人事は年功序列だ。毎年国会明けの7月に定期的に異動がある。補佐の川村のところへ1年上の年次の人たちが課長に昇格して挨拶にきていった。川村は、「なんであんな連中がおれより先に課長になるのか?1年上だというだけじゃないか」と大きな声で言っていたのを聞いた。

小説厚生省(32)
話は2年ほど飛ぶ。
川本正夫が、事務次官(昭和15年組)になったときのこと。川本は、後に日本赤十字社長を長く務め、「厚生省のドン」的存在となるが、抜擢人事で、川村を社会保険庁船員保険課長にした。1つ上の昭和27年組が全員はまだ課長になっていなかったので、省内に評価とやっかみの波紋がわいた。

小説厚生省(33)
このとき、川村は、岡村に「係長にはできないが、俺のところで働かないか?」と打診している。それまで現業組織にいわゆる上級職が若くして働く例は無かった。人事当局は、抜擢された川村がさらに増長したと反発、この岡村社会保険庁移籍案はボツとなり、岡村は「制裁」を受けた。
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by jpflege | 2010-04-30 05:55 | 991 Novel

P 4575 小説厚生省 (28)~(30)


【先輩の原点は原爆】

小説厚生省(28)
課長補佐の川村智は、昭和28年入省。のちに、保険局長時代、「医療費亡国論」を専門誌に書いて当時の日本医師会から仇敵よわばりされた。事務次官時代に肝臓を病み、2年間の次官の激務を終えてすぐに病死した。広島の原爆を1日違いで逃れ、多くの学友を失っている。

小説厚生省(29)
国民健康保険課の係長だった岡山敬治は、昭和38年組。のち、事務次官になって業者との癒着を問われて辞職したことで知られる。「厚生省」崩壊の遠因とされる。介護保険制度を着想・推進した。岡山も広島出身で、原爆を近くでみたことが厚生省へ入った動機だった。

小説厚生省(30)
岡村三郎というペンネームは、「岡山」の岡と「川村」の村からで、「三郎」には、この2人に続きたいという思いがこめられている。昭和41年ごろ、専門雑誌に、岡村三郎の名で「日本医師会の思想と行動」を書いた。丸山真男の名著『現代政治の思想と行動』をもじっている。
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by jpflege | 2010-04-29 05:36 | 991 Novel

P 4572 小説厚生省(25)~(27)

【川村補佐】

小説厚生省(25)
昼は、川村補佐の席の周りで議論をし、局長室での会議があれば、岡村も入った。局長、次長、庶務課長以下各課長が出席しての会議では、議論の実質的な進行は川村補佐が行っていた。会議の議論が頓挫したりすると、脇のテーブルに座っている梅本と岡山の発言が方向を転じた。

小説厚生省(26)
夜ともなって、国会の仕事(答弁案の作成)が終われば、川村以下、梅本、岡山などに従って、飲みにいった。最初は、新橋あたりの小料理屋。当時は、流しのギターの伴奏で扇ひろ子の歌などうたった。二次会では、銀座まで繰り出すこともあった。その費用はいつも川村がだした。

小説厚生省(27)
あるとき、岡村は「自分も応分の負担をします」といったら、川村は「その気持ちがあれば、やがて年下のものと飲むようになって今度はお前がおごってやれ」と笑って払わせなかった。あとで、気がついたのだが、一緒に書いた原稿代とか法規集の編集料などがプールされていた。
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by jpflege | 2010-04-28 05:08 | 991 Novel

P 4558 小説厚生省 (22)~(24)

【投稿】

小説厚生省(22)
昭和40年当時、GDPに占める医療費の割合は4%だったが、この比率でも高すぎるのではという世論があった。2010年の今日、この比率は8%であるが、先進国では低い方とされているのは今昔の感がある。医療保険における医療費の詳細は、保険局医療課の所管だった。

小説厚生省(23)
保険局庶務課は、筆頭課として、医療保険制度のあり方、とくに医療費の水準に関して強い関心を寄せていた。保険局長室においては、かなり自由闊達な議論が行われていたが、それは、課長補佐の川村を中心とする若手のふだんの勉強の結果が活かされていたからである。

小説厚生省(24)
勉強会の主要メンバーは、梅本係長、国民健康保険課の岡山敬治だった。
川村補佐は、勉強会の結果を専門雑誌に投稿させた。当時の日本医師会の勢力からいって現役の行政官が政策を分析・公表することは危険だった。川村補佐は局長の了解をとっていた。第1回の原稿は岡村が書いた。
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by jpflege | 2010-04-27 05:05 | 991 Novel

P 4545 小説厚生省 (19)~(21)

【保険局庶務課】

小説厚生省(19)
岡村三郎が属した保険局庶務課は、医療保険政策をまとめているいわゆる「筆頭課」であり、昭和40年当時は、医療課、国民健康保険課、保険課、調査課の5課編成だった。庶務課長は仕切りの中にいて、大部屋の中心には、課長補佐の川村 智が座っていた。昭和28年入省組の1人。

小説厚生省(20)
保険局庶務課には、庶務係、法規係、企画係、調査係の4係。いずれも2人から3人。新規の政策や懸案事項の立案・検討は、岡村が属する企画係が担当だった。新入生の岡村の上司は、自治省からの交換人事できていた梅本善一係長、その上が川村 智補佐という布陣だ。

小説厚生省(21)
岡村の日常は、課長補佐の川村の席の回りで、係長の梅本と3人での議論だった。川村は、M県の課長から戻ったばかりだったので、毎週のようにM県関係者が挨拶に来ていた。川村の机のうえは綺麗に整理されていて、1枚のコピー用紙に鉛筆で懸案事項のリストを書いていく。
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by jpflege | 2010-04-26 06:24 | 991 Novel

P 4532 小説厚生省 (16)~(18)

【企画係】

小説厚生省(16)
役所の中ではハンコが重要で些細な供覧文書にも押印しているが、もっとも重要な国会答弁案については、直接担当課長まで決裁をあおぐことも稀だ。総理大臣あての質問の場合は、内閣参事官室(昭和40年当時)のOKが要る。省内では、大臣官房文書課の総括補佐の了解が要った。

小説厚生省(17)
当時、医療保険問題の質問が多かったが、岡村の文案のまま、厚生省大臣官房文書課の課長補佐までみてもらえばOKであった。新しい質問であれば、係長に見てもらい、課長補佐が見ればOKだった。その係長は自治省(現在の総務省)から出向していた梅本善一だった。

小説厚生省(18)
梅本善一は、昭和36年自治省入省組。財政課長などを経て奈良県知事を長く務めた俊秀だった。遅くまで酒をともにして、まだ独身だった梅本のアパートに泊まった夜もあった。何十巻もある「地方自治資料集」があたりを圧していた。係長といっても、部下は、岡村を含め2人だけだ。
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by jpflege | 2010-04-25 05:25 | 991 Novel

P 4520 小説厚生省(13)~(15) 国会答弁草案

【国会答弁草稿】

小説厚生省(13)
2009年秋、民主党政権の誕生で、中央省庁の行政官と政治家との関係は大きく変わった。これは、昭和40年頃の、自民党政権盤石なころの話である。衆議院本会議場で加藤栄吉総理大臣が、所信表明への代表質問に答えている。医療費問題をめぐって政府の対応が問われた。

小説厚生省(14)
加藤総理は、「臨時医療保険審議会を設置して根本対策を推進したい」といった答弁をしている。手元には、答弁の下書きが用意されている。あの答弁メモは誰が書いたのだろうか?まだ、パソコン・ワープロの無い時代のこと、清書したのは、それぞれの部局の若いスタッフである。

小説厚生省(15)
岡村三郎が、昭和40年6月に、厚生省保険局庶務課企画係に配属になって最初にしていた仕事にその国会答弁案の清書という仕事があった。清書という作業は30部程度のコピーや編纂という物理的な作業でもあるが、実は、その中身の文案自体も入省1年目の岡村が作成したものだった。
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by jpflege | 2010-04-24 05:19 | 991 Novel

P 4518 【大川小川事件】

【大川小川事件】

小説厚生省
(10)保険局長室は、新庁舎5階の中庭側にある。岡村三郎が緊張してノックした。局長の小川新一郎は、窓の方を向いていた。「君、出身はどこかね?」と短い一言をかけただけだった。実は、この直前、小川局長は、山田厚生大臣から辞任をつげられたばかりだった。

小説厚生省
(11)世に言う「大川小川事件」である。小川新一郎は、保護課長時代に生活保護法をつくりあげ、その解説書『生活保護法の解釈と運用』は、後に至るまで生活保護のバイブルとされた。日本医師会とのトラブルの責任を取る形で、大川事務次官とともに辞任した。

小説厚生省
(12)その日の午後、厚生省5階の大会議室に保険局の職員が集まっていた。岡村の属する保険局庶務課のS課長が、涙声で、将来は事務次官と周囲から嘱望されていた俊秀の筆頭局長の突然の解任に無念さをにじませた。官僚の人事権は大臣にあるという事実が示された日であった。
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by jpflege | 2010-04-23 04:27 | 991 Novel

P 4501 (7)~(9)

小説厚生省(7)昭和40年4月に辞令をもらい、2ヶ月間研修を受けた。各部局の説明は筆頭課長クラスがその局の説明をした。援護局(当時は独立の局)のK課長は冒頭「君たち本当に厚生省を志望してきたの?えらいなぁ」といった。45年たっても耳に残る。

小説厚生省(8)研修も終わりの頃に、人事課の課長補佐Yさんから、何か配属先に希望はあるか?と打診を受けた。「一番大変な部局にお願いします」と岡村は胸を張った。我ながら生意気だった。6月1日付で保険局(医療保険を担当)に配置となった。

小説厚生省(9)6月1日早朝、当時は、新設の8階建ての庁舎の5階が保険局企画課だ。12時過ぎまで待ったが、辞令はもらえない。課長補佐(庶務担当)のOさんが、「かわいそうだからとりあえずわたしましょうよ」と渡してくれた。午後、局長室へ呼ばれた。
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by jpflege | 2010-04-22 08:57 | 991 Novel